【御朱印】京都府京都市左京区にある「詩仙堂」へ行ってきた。

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詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
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【御朱印】京都府京都市左京区にある「圓光寺」へ行ってきた。

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家康の命により慶長6年(1601年)に足利学校の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶を招き伏見城下に円光寺を建立したことに始まる。その後、京都御所北辺の相国寺内に移る。さらに寛文7年(1667年)に現在地に移された
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【御朱印】京都府京都市上京区にある「教法院」へ行ってきた。

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教法院は、永正二年(1505)9月に創建されました。 本堂には、「伏見宮貞致親王 第二之姫宮 常子公之大母」(ふしみのみや さだゆきしんのうのひめ)や、石田三成に仕えた戦国武将 「島左近」(しまさこん)が祀られております。 左近は「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」と言わしめたほど、文武両道、優秀な軍師でした。 宝物は、棟方志功の書『深大無尽蔵』や縦1.8m・横9mに及ぶ襖絵十枚、濱本信博作『双龍図絵』、また松村呉春の『涅槃図』などがあります。
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【御朱印】京都府京都市北区にある「鹿苑寺(金閣寺)」へ行ってきた。

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正式名称を鹿苑寺といい、相国寺塔頭寺院の一つ。舎利殿金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。 元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。

金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

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【御朱印】京都府京都市上京区にある「北野天満宮」へ行ってきた。

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  • JR京都駅より市バス50・101系統
  • JR地下鉄二条駅より市バス55系統 JR円町駅より203系統
  • 地下鉄今出川駅より市バス51・102・203系統
  • 京阪出町柳駅より市バス102・203系統

歴史

右大臣菅原道真左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地にあった朝日寺(東向観音寺)の最鎮(最珍)らが朝廷の命により道真を祀る社殿を造営し、朝日寺を神宮寺とした。後に藤原師輔藤原時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。

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【御朱印】京都府京都市上京区にある「千本釈迦堂」へ行ってきた。

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鎌倉時代初期の承久3年(1221年)、求法上人義空によって創建された。義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立した。室町時代勧進状によれば、猫間中納言と呼ばれた藤原光隆の従者であった岸高なる人物が境内地を寄進したという。当初は草堂であったが、摂津国尼崎の材木商の寄進を受けて現存する本堂が完成した。1951年(昭和26年)、本堂解体修理時に発見された義空の願文により、本堂は安貞元年(1227年)の上棟であることが判明している。『徒然草』228段には「千本の釈迦念仏は文永の比(ころ)如輪上人これを始められけり」と、当寺に言及されている。

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【御朱印】京都府京都市右京区にある「龍安寺」へ行ってきた。

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「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府管領守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。

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【御朱印】京都府京都市上京区にある「千本ゑんま堂」へ行ってきた。

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京都市バス・「千本鞍馬口」下車。又は「乾隆高前」下車。

歴史

京の三大念佛狂言のひとつ「千本ゑんま堂大念佛狂言」が伝わる寺として有名。百人一首に登場する歌人で、閻魔法王に会ったエピソードで知られる小野篁を開祖とすることから、数ある京の寺の中でも珍しく、閻魔法王をご本尊としている。 

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【御朱印】京都府京都市中京区にある「二条城」へ行ってきた。

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二条城は、江戸時代に造営された日本の城である。京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、織田氏豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは徳川氏によるものである。また、後の近代において二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用された。城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコ世界遺産世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。

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フルサイズ一眼レフカメラ「canon EOS 6D」を持って京都の街を撮影してきた。

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2017年の夏休みも京都で過ごすことになりました。

毎回、旅行をする度に、どのカメラを持って行くか悩みに悩むのですが、今回の京都旅行は、フルサイズ一眼レフカメラcanon EOS 6D」にズームレンズ「EF24-105mm F4L IS II USM」と単焦点レンズ「EF50mm F1.8 STM」の2本を選択しました。

重くてもフルサイズの写りに満足するのか?

機動力の高いミラーレス一眼が良かったと後悔するのか?

それでは、いってみましょう。

今回使用した機材など

Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 6Dボディ EOS6D

Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 6Dボディ EOS6D

 
Canon 標準ズームレンズ EF24-105mm F4L IS USM フルサイズ対応

Canon 標準ズームレンズ EF24-105mm F4L IS USM フルサイズ対応

 
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